盛岡の水路跡


赤川跡西側の痕跡 1-4

北上川 古川


今回の地図



北上川古川

出典:国土地理院を元に作成 クリックで拡大

 前回、今回とも、中央通を越えてからの赤川跡は、北上川の「古川」に由来します。

 北上川の旧河川は大きく蛇行して、今の開運橋〜大通〜菜園を流れていました。


1750地図

出典:もりおか歴史文化館収蔵『寛延盛岡城下図』を元に作成 クリックで拡大

1750年頃の盛岡城下


 1673年から「新築地」(しんつきじ)と呼ばれる堤防を作って堰き止め、さらにその先、南側を浚渫して新たな流路(新川)を繋げます。つまり開運橋から不来方橋、中津川合流地点までの北上川は、人工河川(水路)なのです。


 内側に残った古川は次第に埋め立てられていき、川岸沿いに水路ができました。

 それが赤川となって、現在でも痕跡が残っているのです。


    ・参考文献 『もりおかの地名』1990年4月16日、盛岡市

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