盛岡の水路跡


上田の水路跡 1-1

一高から長町踏切へ


上田の水路跡地図

地図出典:国土地理院を元に作成


 上田1〜3丁目、この辺りも昔は田圃が多かったところです。

 学校ができ、鉄道が通り、国道のバイパスができて宅地化が進み、二十年ほど前まで残っていた田圃は、すっかりなくなってしましました。

 しかし、ここは仙北町と同じく区画整理が行われていないので、いたるところに水路・水路跡が残っているところでもあります。

 岩大の東側、バイパスの南側、河北の桜川・山田線の北側に囲まれた場所で、水路跡を探してみました。


 2020年12月13日〜2021年6月3日にかけて歩いた記録です。


1910一高

出典:盛岡市街及付近実測図より引用


 明治43年(1910)の地図です。盛岡一高(当時は県立盛岡中学校)が移転してくるのが大正6年(1917)なので、まだ描かれていません。

 一高の敷地内を水路が縦断しているのが分かります。

 今回はここを辿ります。


一高から長町踏切地図

地図出典:国土地理院を元に作成

 現在の地図。一高が移転した後、水路は一高の東側に経路が変わったようです。


一高東側

2021年6月3日に撮影

 上田新小路、一高の南東角。北へ伸びる、水路跡と思われるものが残っています。

 この角を西側に曲がり、


一高南側

 一高の正門方向に進み、丁字路を曲がります。

 この道が、以前敷地を縦断していた水路の位置です。それが分かると、道の突き当りの植樹に空きがあるのが怪しく見えてきます。



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