もう一本の桜川 〜 河北の桜川 1
中津川〜北上川
前回「桜川」を調べて『もりおかの地名』を読んでいたとき、初めて知った記述がいくつかありました。
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中津川の水を北山のすそを通して下台方面に引き(中略)後に「桜川」と呼ばれる堰になっている。御薬園裏から報恩寺の山門前を通って、名須川から上田、長町裏に引かれた堰で、戦後まで残っていた。
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山岸水戸口は門前崎で中津川の水を揚げた農業用水の取り入れ口で(中略)利済公のとき揚水量を増して、落差をつけるため御薬園裏から報恩寺門前を通し、上田から長町田甫を経て下台まで延長し(中略)この堰を「桜川」と呼んでいた。対岸の浅岸から加賀野方面に引いた用水も「桜川」と呼ばれた。
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また対岸の山岸の「水戸口」から上水して、報恩寺門前から北上のすそを通り、下台方面まで引かれていた堰も同じく「桜川」と呼ばれていた。
出典:『もりおかの地名』1990年4月16日、盛岡市
つまり盛岡には、もう一本の桜川があった。
『もりおかの地名』は以前に調べものをしたとき、何度か読んでいましたが、仕事だとどうしても拾い読みになってしまい、今まで気が付かずにおりました。
上記の文章に出てくる地名等から、古地図上の水路をなぞっていくと、こんな経路になります。
地図出典:もりおか歴史文化館収蔵『城下及近在図』を元に作成、クリックで拡大
その経路に、2022年2月までに歩いた水路跡と開渠を重ね合わせ、現況の位置を割り出してみます。
地図出典:国土地理院、もりおか歴史文化館収蔵『城下及近在図』を元に作成、クリックで拡大
地図出典:国土地理院を元に作成、クリックで拡大
これが現況で残っている、もう一本の桜川の経路になります。
盛岡市では中津川を境にして、南側を河南地区、北側を河北地区と呼んでいます。
前回の「桜川」は河南地区を流れていましたので、この「もう一本の桜川」は以後「河北の桜川」と呼称させていただくことにします。
ほとんどの経路が調査済みではありましたが、最初の取水口である水戸口と、下台の最後に北上川に流れるところの写真がありませんでした。すぐ近くを歩いていたのに、気が付かなかったのです。
春になって雪が溶けてからの再調査、と思っていたのですが、早く確認したくて待ちきれなかったのと、現場での自分の詰めの甘さが悔しかったので、2月はじめに現場に行ってきました。
というわけで、次回から「河北の桜川」を辿ることとします。