盛岡の水路跡


雫石川から小諸葛川へと水路跡を遡る 1

城西町の水路跡は長大な水路の一部でしかなかった


予定図

出典:国土地理院を元に作成

 前回、「次回から、城西町へと進みます。」と書きましたが、その経路は上図のような予定でした。せいぜい400m程です。


1863古地図

出典:もりおか歴史文化館収蔵『城下及近在図』、国土地理院を元に作成

 ただ、同じ日(2020年12月9日)に見つけた開渠が、昔はここの上流だったらしい、と古地図で分かっていたので、こちらも一緒に紹介してもいいかなと思い、いろいろ調べてみました。
 古地図に沿った経路を、グーグルマップの航空写真で見ていくと、かなり上流まで痕跡を辿れそうに見えます。


1965航空写真

出典:国土地理院を元に作成

 更に下流側も、昭和40年(1965)の航空写真で見つけた経路を、グーグルマップの航空写真で辿ってみると、痕跡ではないかと思われるものが確認できました。


 2024年11月5日、下流の盛岡駅西通から水路跡と思われる経路を辿り、城西町〜天昌寺町〜大新町まで歩きました。航空写真では気が付かなかった「本流」を現場で見つけたりしましたが、迷路に迷い込み、時間切れで撤収しました。

 翌11月6日、前日の反省も込めて航空写真を調べ、この経路の「最初と最後」の場所を確定し、再び現場まで歩いて訪れ、確認しました。


全体経路

出典:国土地理院を元に作成、 クリックで拡大 

 その長さは約 4.9km。これが城西町で見つけた水路跡の全体像になります。今では全く痕跡が残っていない部分もあります。

 小諸葛川から分岐して、田圃に水を供給し、旧国鉄盛岡工場・盛岡機関区の西を通って、雫石川に流れ込んでいたようです。


というわけで、次回からこの水路跡を下流から遡っていきます。


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