盛岡の水路跡


1. 歩くことを始めた訳


盛岡市の中心市街地に川の跡がある、というのは昔から耳にしていました。

地図を見ながら、その跡を歩くことも、ごく普通に楽しんでいました。


 もともと裏道や抜け道とかが好きでしたし、廃墟など、町の成長に隠れている痕跡に興味もありました。そういった気になる場所が、今でも残っているか、というのは実に好奇心を掻き立てる原因となったのです。
 古地図や航空写真を眺めていると、以前存在し、かつ現在もその形を留めている「水の路」が見えてきます。なんとなくその証拠を現場で確認したいと思いました。

 調査、というほどでもないかもしれません。自分にとっての確証が欲しい、といった程度です。あまり歴史とか、現在の管理状況などは気にせず、ただ歩いて見てきただけですが、その事自体には割と満足しています。


「水路跡」の定義とは?


 とりあえず「以前は水の流れる路(みち)があったが、現在は水の流れが見えなくなってしまったところ」ぐらいに考えております。暗渠になって見えていなくても、現用として使われているものは「跡」と言い難いかもしれませんが、「水が流れていた痕跡」程度の意味とお考えください。
 言い訳になりますが、狭義には「水路」とは人工的なもので、自然河川は含まれないのですが、判断ができないものもあって、全て「水路」扱いにしています。
 その水路にしても、立派な農業用水路なのか、田んぼの畦道の横なのか、元々は川の支流なのか、ただの道路側溝なのか等々、本当に「水路」と呼んでいいのか、わからないものもあります。


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