盛岡城 遠曲輪跡を歩く 1-1
仁王小学校〜本町〜中津川〜上ノ橋町〜江差小路〜総門
地図出典:盛岡市遺跡の学び館「盛岡城遠曲輪跡 第 22・23 次調査」を元に作成。
南部氏の城であった「盛岡城」は、自然河川である北上川とその旧河道である古川、中津川、そして内曲輪、外曲輪、遠曲輪の3重の堀で囲まれていました。遠曲輪は幅約10m 高さ2mの土塁と、幅10m以上の堀で構成されていました。
こうして改めて見ると、城下町はやはり要塞なのだな、と思います。
明治3年(1870)に遠曲輪の土塁と堀は整地され、民間への払下げが行われました。
堀が埋め立てられた後も、堀の経路に沿って水路が残っているのが、明治43年の地図に見られます。また現在も道路として使われている場所もあります。
そのような痕跡を探しつつ、遠曲輪を辿って歩いてみました。
2019年11月から2022年5月にかけて、歩いた記録です。
・参考文献 「盛岡城遠曲輪跡 第 15 次発掘調査報告書」平井明子・盛岡市教育委員会 2015.3.31
「盛岡城遠曲輪跡 第 22・23 次調査」盛岡市遺跡の学び館 2022.3.6