盛岡の水路跡


消えた 北上川上水堰(北上川上水路)1-4

箱清水2丁目 ついに痕跡を発見


箱清水2丁目地図

 出典:国土地理院を元に作成

 推定経路に近い道を歩きます。箱清水2丁目の住宅地に入りました。

 ここでも川側は民地で、住宅が建ち並んでいます。たまたま家の前にいらしたご夫婦に、この裏に水路があったはずなのですが、ご存じないでしょうか?、とお尋ねしたところ、


「水路はあった。だいぶ昔から使われていないけど。」


 という、衝撃的な証言を得ることができました。

 しかも、「うちの裏から見えるから、どうぞ見ていって。」と、庭に入らせていただくことになりました。


箱清水2丁目裏北

2022年11月7日に撮影

 初めて見る、北上川上水堰(北上川上水路)の痕跡。

 写真上が上流側(北側)です。上流側にある駐車場は、水路敷地を払い下げしているそうです。

 また、この部分は樹木が大きくなったので、何年か前に伐採したそうです。


箱清水2丁目裏南

 下流側(南側)です。こちらは木を伐採していない状態。これでは航空写真で分かるはずもありません。


ご夫婦から伺った話をまとめると、

 ・昭和43年(1968)に、ここに家を建てて、引っ越してきた。

 ・家の裏側から、幅5mが水路敷地だと、市役所から言われた。

   (旦那さんは4m、奥さんは5mと主張、最終的に奥さんが勝った)

 ・昭和43年当時には埋まっていて、水も溝などもなかった。

 ・当時から既に小さな木が生えていて、それが今では大木になっている。

 ・うちの裏の木は何年か前に伐採した。南隣の人は切っていない。

    ということでした、ありがとうございました。


 本当にあったんだ、というのが素直な感想でした。

 でもこれで、さっきまでの不安が一気に晴れました。


 後でこの場所の登記を見たら、現在でも地目が「用悪水路」になっていました。


箱清水2丁目1965航空写真

 出典:国土地理院を元に作成

 昭和40年(1965)の航空写真、ちょうどこの住宅地が造成されています。

 こうして見直してみると、水路跡が見えるような、見えないような・・。


という訳で続きます。


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